(*'▽')

隙あらば自分語り

くるし〜くて目が覚めてしまった夜

本日はせっかく布団に入って寝付いたと思ったらパニック発作により目が覚めて完全に覚醒してしまったの巻です。

 

自分はパニック障害という程ではないんだけど、人生の中で数回はいわゆるパニック発作的なものが出たことがある。基本的に人前で出たことは無いので、そんなに心配はしていないけど、今日は眠りを妨げられたのでかなり怒です。

 

私は主に心臓ら辺に出るんだけど、本日は心臓が止まってしまう、息が止まってしまうという感じのパニックでしたね。本当に不整脈や頻脈があったのか定かでは無いけれど、本当に心臓の拍動が感じられなくなって息も苦しくて何がなにやら…

 

そんなに人生に明確な不安があるという訳では無いのだけど、やはり秋は気温差が大きいのでメンタルが不安定になるんですかね。まぁいつか病院行くことがあれば相談してみたいですね。

あんまり周りにパニック発作が〜とか相談できる感じでもないので、はてなに投下して満足することにします。次の眠りはちゃんと朝まで眠れるといいな。

 

おわり

昨今カスタマイズされたおすすめが出てくるようになって、あまり興味がなかった記事や動画も何度も目についてしまうせいで気になっちゃうことが多いです。私のYouTubeはいつの間にかメンタルヘルスのおすすめが頻繁に出てくるようになってて、気になってたまに見たりしてます。

 

自分はなんだか鬱という訳でも発達という訳でもないような気がしていたのですが、最近愛着障害の解説を見てこれかもなって感じています。私は愛し愛されに何かしらの問題を抱えていそうです。あとはACも強く出ている感じがしてます。健全になりたい人生だった。

 

とある動画を見て何となく、自分の中に愛されたい部分と愛されたくない部分、愛したい部分と愛したくない部分がある気がします。

 

愛されたいは言わずもがな、大切にされたいし褒められたいし、許されたい。最近はなんとなく、自分は親から愛されたかったんだろうなって理解してます。

 

愛されたくないというのは、失望しないための防御策みたいなもののようです。ありのままの自分が愛されないと思っているからこそ、そもそも愛されないようにする部分と捉えてます。

わざとダメな振りをしたり、如何に自分がダメな人間かを説明して引かせたり、好意的な反応をくれた人を突き放したり。

愛されること自体が怖いです。私にはそんな価値もなく、価値がないことに気づいた人達は私のもとを去っていきます。なんなら失望されたり怒られたりします。

私が愛されたいのは取り繕ってない部分の自分であって、それを愛してくれる人はどこにもいないから、取り繕っていない自分を否定されないように守っているのです。

 

愛したいというのは、動画内では好かれたいから役に立ちたいと思う気持ち、みたいな説明をされてました。結局は愛されたいと繋がってるのかな?自分としては、愛したいについてはこっちを見てほしいみたいな意味合いが強いかなと。どちらにしろ、何か見返りが欲しいからいい人のように振る舞う感じかもしれない。

私は女友達とかに好きだよって言っていちゃいちゃしたがるところがあって。そういうところかなと。

 

愛したくない部分。他人に対する嫉妬とか引きずり落としたいとか見下してたりとかそういうところかなと。

あと自分はよく他人から嫌われているきがしてしまうのですが、「あなたが私を嫌いだとしても、私の方もあなたのことが嫌いだから」という考え方をよくしてしまいます。そもそも私のことを嫌いという部分は私の妄想でしかないのに、相手を嫌いになるという。嫌われてたとしても傷つかないようにしてるのかなと。

 

まぁこんな感じで、矛盾する自分があるんだなぁと。それぞれの自分が何をしたくて、何を恐れているのかなどを考えながらひびを過ごしています。やはりこういうのは認知して自分を許して行くしかないのだと思います。誰かが劇的に直せたりするようなものでは無いので、、

こうやって書いてみるとなんとなく、それぞれの自分を整理出来たように思います。

 

 

 

 

「誰か」は居ない

 

私はずっと、誰かに助けて欲しいと思っていました。言うなれば白馬の王子様のような人が現れてくれないかと願っていました。そしてある日に、「誰か」は存在しないのだと気づきました。私には助けてくれるような知り合いもおらず、そして見知らぬ誰かは私なんかをわざわざ助けはしないのです。

 

私には価値がないのです。部活でもグループワークでもバイトや仕事でも、請け負っているのは誰にでもできる仕事内容で速度や精度は人並み以下。人付き合いは下手、容姿も性格も終わってる。価値も他の人が与えてくれるものではなく本人が作るものなのだと気づきましたが、そうだとしても私には何も無かったです。

 

こうやって振り返ると、やっぱり私が他人のせいにして逃げてきた結果なのだなと。いつまでも被害者面して私はずっとずっと同じところで立ち止まって他の人が進む様子を見ているだけ。それが虚しくて悲しくてつらい。

毎日もがいているつもりになっているだけで、何にも変わってない。詰まらなくて中身がなくて空っぽな子供のままで大人になっただけの人。

 

私が存在していい場所は他人の中に無いのだと思わされる度に、生まれて来なければよかったと思います。死にたい訳では無いので自傷とかは無いですが、ただこんなふうに誰にも望まれずに他人に迷惑をかけて生きることに苦しむのであれば、生まれて来なければとは思うのです。「苦しいのに死にたくは無い」と思うこともなかったのに。

 

他人の中に価値を見出そうとするのがそもそも間違っているとか、気にするなとか色々正論はあります。好きなように生きればいいとか、他人に迷惑をかけてもいい(誰にも迷惑かけずに生きることは不可能って意味です)とか、分かってます。苦しいと思うのも結局は自分の認知によるもので、もっと辛い境遇の人もいて、自分は楽しい日もあって、毎日こんなに思い詰めている訳では無いのですが。

 

たまにふとどうしようもなく悲しくなる時があります。変わるのは難しいね。

 

 

 

わかったフリ

私が誘われてない遊びの話をされた時とか、なにか自分だけ声をかけられなかった時とか、この人は私の事好きじゃないんだなって感じた時とか、そういう時に「なんで誘ってくれないの」とか思うより先に、「自分は〇〇だからしょうがない」って思ってしまう。面白くないから、可愛くないから、気持ち悪いから、自分から声掛けないから、etc.

 

今までただ楽しいことしか考えてなかったのに、頭の中がサッと冷静になって、自分が調子乗っていたからだとか、性格が悪いからとか、可愛くないからとか、迷惑かけたからとか、いろいろ原因探してなんで嫌われちゃったのか理解したフリして、私が悪かったからしょうがないって諦めてしまう。

そしてわかったフリしたまま、自分が関わらないのが1番相手のためになるのだと1人で結論づけて、勝手に離れてしまう。

 

そういうことを何回も繰り返していて、結局友人は長続きしないし、深い仲になれない。むしろはじめから裏切られることを予想してしまって、よそよそしくなってしまう。私は友達だと思っていても、向こうがどう思ってるかは分からないしなぁ。私のいない所でみんなが私の悪口を言って笑っている気がする。そしてそれは、自分に原因があって悪口を言われても仕方なくて嫌われて当たり前なんだと思ってしまう。

 

以上のことについて考えた結果、この自分が悪いと思う原因(面白くないから、可愛くないからなど)については、過去自分が他人に責められてきた言葉であるのだと思った。

親や同級生から言われた言葉。中にはふざけて言われた事とか、本気じゃないものもあると思うけど、何度も言われたことや、みんなでよってたかって言われたことに、今でも私は囚われているのだなと思いました。私の希死念慮ももしかしたら、何度も死ねと言われてきたせいなのかもしれないですね。

 

 

そしてもうひとつ、わかった振りをしてしまうのは、見捨てられたくないからという考えに至りました。

全部自分が悪いのはわかってる

だから、怒らないで欲しい

分かってるから、嫌いにならないで欲しい

全部直すから、見放さないで欲しい

 

結局自分はいつも脅されてきたのかもしれません。親にもらったのはいわゆる条件付きの愛情だったのかもしれません。兄よりも私は大切にされていた自覚はあるけど、それは私がいい子だからで、女だからで、学力がいいからで、言うことをなんでも聞くからで、私だからという訳では無いのです。悪い所があれば見放されてしまうのだと思ったから、こんなに怯えているのだろうと。

 

 

なんだか実家を出てから、いろんな過去から決別したような気がして、すごく自分の世界は広がって昔よりもマシになっている気がしていたけれど、結局いつまでも過去に囚われてもがいているだけだと気づいて、やるせないし悔しいし、悲しくて恨めしい。それでも原因に思い至る度になんだか呪いが解けていくような。

 

 

 

 

 

 

兄に嫌われていた話

兄とは5歳以上歳が離れている

兄は私を嫌い、挨拶をすれば怒られ、ご飯の時に蹴られたり叩かれたり、ゲーム機を取り上げられたり、嫌味を言われたりいろいろされたと思う。歳が離れていたので生活サイクルが合わず、家庭内で会うことも減って関わりが少なくなっても、私はずっと兄が怖かった。なにか伝えたいことがあれば大抵親を通して伝えてもらってた。

そんな兄が、社会人になってからはやたらと絡んでくるようになった。勉強どうだ?とか言って勝手に部屋に入ってくるし、図鑑見ながら俺はこういう仕事してるんだとか。そんで親は何を勘違いしたか、最近仲良いねなんて言ってくるから、今も仲は良くないよって兄の前で言ってあげました。私は、今更いい顔されても、きちんと謝罪を受けない限り許す気はないし、仲良くする気はない。兄弟としてそれなりの付き合いはあるけど、別に近況報告だとか遊びに行くとかそういう馴れ合いはしたくない。

 

大人になってから本人に聞いた話では、当時すでに小学生くらいで自我があり、親からは厳しく躾けられていたが、妹が産まれた途端に親は妹のことばかり優先し、女だからとちやほやして優しく育てられ、嫉妬というか不安だったのだとのことだった。それで私に意地悪をしていたんだろうと言っていた。でも謝られたことはない。

兄のことは可哀想だと思う。だけど、後から生まれたから、私が女だったからというだけで蔑ろにされるのは理不尽である。

 

自分が居なければ世界が平和になると思う

全てのことに自信がなくて、もはや存在していることすらも自信が持てない。

 

自分が何かをしたいと思う、何かを得たいと思う、そういう欲求全てがわがままだと思う。

 

しかも自分が望んだせいで誰かに労力を働かせたり、他人の望みが叶わなくなったり、誰かを悲しませて落胆させていると、自分の存在が世界にとってとても邪魔なものだと感じる。

 

それでも一人の人間であるからには、幸せになりたいし、楽したいし、嫌なことに文句を言いたい。自分が居なければと思いながら、死ぬことも出来ず幸せになりたいとも思うし、幸せになってはいけないとも思う。

 

なんでだろうなって考えた時、やっぱり親と学校かなと思う。

とにかく節約しまくる家で、服も買ってもらえなかったし、病院行ったら「お前はお金のかかる子だ」と言われたし、とにかくする事なす事お金について口うるさく言われた。私が居なければどれだけお金がかからなかっただろうと思うと、本当に申し訳なくもあり、勝手に産んでおいて金がかかると文句を言われても困るという憤りもあり。

服も持ち物も親や近所の人から貰ったものだし、髪も親が切ってて全然可愛くないし、そんなだから学校ではかなり嫌われてた。私が隣の席になるとか、ペアにさせられるとか、授業や行事で関わるときに、すごく嫌がられたし居場所が無かった。存在していることに罪悪感があった。家にも居たくなくて、学校にも居たくなくて、どこにも居場所がないと感じていたと思う。若干悲劇のヒロイン補正が入ってるかもしれないけど、でもどこにいても煙たがれていて、私にはその理由がわからなくて、自分なりに存在していることが罪なのだと思った。

とても苦しいとも思うけど、でももしかしたら自分で気づけてないだけで私はとてつもないキチガイで狂ってて性格が悪くて気持ちが悪い見た目で、全部私に原因があるのかもしれないとも思う。何も自信が無いので、自分の感情も全部否定して、誰も幸せにならないことばかりしてしまう。

アダルトチルドレンと言うやつなのかもしれない。でも結局、どうしたらいいのか分からないまま、普通のフリして過ごしている。でも傍から見たらきっと普通にはなりきれてないんだろうな。そして冒頭に戻る。

なにかどこかに居場所を作るしかないんだろうな。頑張って自分の気持ちに折り合いをつけるしかない。だからこそダラダラとここに記しました。

しねないのなら、苦しくても自分で自分を幸せにしてあげるしかない。矛盾してるかもしれないけど。

初めてすること全般が怖い

今までしたことない、どうやるのか分からない、そんなことに手をつけるのが苦手です。

なんでかなと考えた時、親にいろいろ言われたことを思い出しました。例えば親の家事を手伝った時に、「お前は要領が悪い、自分がやった方が早い」と取り上げられたり、親がしていることを真似しようとしたら「邪魔するな」と言われたり。窘める感じじゃなくて、ガチで怒鳴られるんですよ。

やり方を知っていて、私よりも上手くできる人を差し置いて、やり方も分からないような私がなにかするのは邪魔なんだなって思うし、特に自分で好きなように考えてやって見てって言われるととても困る。何もかも上手くできない自分が嫌になる。初めてのことは出来ないのが当たり前なはずなのに、出来ない自分がとても恥ずかしくて怒られるのも怖くてしんどい。

あとは、学校で笑われたのも大きい。自分で考えてやったことをみんなに笑われて馬鹿にされて、人前でおかしなことをしてないかいつも不安になる。初めてでやり方が分からなくておかしなことをしていたらって思うととても怖い。私がなにかおかしなことをしたところで他人は誰も気にしないのは理解してても、やはり怖いのです。

人目を気にせず、迷惑かけることを恐れず、色んなことに挑戦出来たらいいな。